2011年2月7日月曜日

十六章 風土

JR北条駅前を通ってみると、ついに駅前にあった例の伊予鉄バス待合所が取り壊されていました。

取り壊し後


取り壊し前

味のあるいい建物だったんですけどね。再び60年かけないとあの味は出ないですから。


「古い建物は、人間で言うと記憶のようなもの。古い建物がない街は、記憶のない人間みたいなものだ」と、有名な建築家は言います。どうしようもないこととわかっていてもやはり残念な気がしました。




近所のおじさんが、「あと3ヶ月くらい前に、取り壊さないでくれと地元の大勢の声があったら、どうにかなったかも知れんのになあ」とおっしゃっていましたが、この取り壊し、「まちづくり」というものを現しているように感じました。


ある人にとっては宝物でも、住民がゴミならそれはゴミ。いくら周りが「ああすれば良い街になるのに」と思っていても、住民がそれを望まなければ大きなお世話です。地元住民の声と行動がなければ誰も何もしてはくれません。何も起こらないし変わることはないのです。


都会からの観光客は北条の景色の美しさと風のさわやかさに感動してくれます。東京から遊びに来たとある有名店の家具デザイナーや建築家、クリエイターらは、北条の海沿いに建つ真っ黒い「焼き杉」の家を見て「おしゃれ〜!」と目を丸くしていました。地元の人の中には北条のことを「何もない町」という人もいますが、外の人にしか気づかないこともあります。ひょっとしたら僕も東京で暮らすことがなければ田舎の良さに気づけなかったひとりだったかも知れません。



「風土」という言葉は、外からの人(風)と地元の人(土)が一つになって初めて成り立つものです。


気づいている町はどこの町もそう思っているでしょうが、「県外市外の人」を特に意識し、外から人を呼べるまちづくりの方向が大変よいと僕は思っています。