2011年4月24日日曜日

五十三章 早坂イズム

一昨日の夕方、作家の早坂暁先生が突然我が家に現れ大わらわあせあせ(飛び散る汗) 


なんか高校の時に抜き打ちで担任の先生が家庭訪問に来たような感じです(笑)。講演会のために愛媛に帰って来られていて、早坂先生のご先祖のお墓がうちの近所なのでお墓参りを済ませた後、寄っていただいたのでした。 

講演会でも、勧商場でも、家でも、また貴重なお話を聞かせていただきました。


早坂先生は30年程前に、胃を切除。その後、胆嚢ガンと心筋梗塞を併発なさったそうです。ドラマの脚本作家全盛期の時でした。医者から余命3年を宣告され、生前葬をやり、死を覚悟。 

5年前には前立腺ガンの手術、鼻の機能は失われていて、片耳も聞こえません。 

そんな状態であるにもかかわらず、正岡子規の言葉「なおかつ平気で生きる」を胸に、ご存じのように次々と数え切れない名作の数々をお書きになってます。 

彼の知識の豊富さ深さ、頭の回転の良さ、意志の強さ、反骨精神、チャーミングさ、ピカイチのスーパー82才、本当に尊敬出来るお方です。 


江戸時代後期の僧侶「良寛さん」が大事にした考え方「愛語」の話をして下さいました。 

「愛語」は、愛心よりおこる、愛心は慈心を種子とせり。愛語、廻天の力あることを学すべきなり。(『正法眼蔵』菩提薩○四摂法) 

困っている人があれば本当にその人の気持ちになって一緒に泣き、幸せな人がいれば本当にその人の気持ちになって一緒に笑う。それが「愛語」。「愛語」は慈悲の心から起こり、そういう言葉は廻天の力、天地宇宙をひっくり返すほどの力がある。 

「菅総理が被災者の避難所を訪れた時、一緒に心から泣いてあげられるような人だったらそんなにバッシングされることはなかったのにね。」と先生。 

「船と財産を失った被災地の漁師さんが「また立て直して漁に出ますよ」と言ってましたが、私も大病の時、同じ気持ちでした。命と引き替えに、それまで貯めていた財産と身体の機能の半分までも失いましたが、またやればいい!と。」 

「なおかつ平気で生きる」いい言葉ですね。 

写真は、82才の不良熟年の温かい手です↓


先生からの提案で、「高野山から菜の花をいただいて、高縄山の麓に菜の花で河野水軍の家紋を模れば名所になるよ」と。面白いと思いました。



「菜の花プロジェクト」
このHPの中に、「全国の取り組み団体最新情報」というのがあり、日本地図が黄色に塗られているのですが、
なんと参加していないのは「愛媛県」だけなのです。ぜひ、北条がさきがけになりましょう!!



また、まだ松山市と合併前の北条市時代、明星川の横道で「道踊り」なる行事が行われていたとのこと。石川さゆりさんが歌う「花へんろ音頭」に合わせてたくさんの連が参加していたそうですが、事情があってやめてしまったんだそうです。これを復活すればおもしろいと。


松山祭りとは時期をずらして、よさこい祭りのような華々しいものではなく、昔ながらのゆったりした踊り、振り付けで、見ている人も癒される踊り。コンテンポラリーダンスのような連も参加可能でしょう。そんな大人の本格的な連がたくさん集まってもらえるようになれば間違いなく四国の名物になります。


早坂先生の引き出しにあるたくさんのボキャブラリーとアイデアを形にしていくと、この街は、進化した退化、新しいレトロとして生まれ変わることが出来るような気がします。


あと、北条の一番は、目に見えないお接待の心のようなやさしい気持ち、「愛語」、これを一番基本に据えておいてほしいなあと。花へんろのまち北条は、愛のまち北条。